昨日も、菅平にいて現役の試合を見て帰りました。試合前の練習を見ましたが、まったく練習
も大きく変わっています。当時はランパスだとかキックダッシュとか、うさぎ跳びはやらなかった
と思いますが、ひたすら走ることばかりやっていました。へとへとになって新しいことを取りいれる
余裕などなかったですね、
スクラムなどひたすら組まされて、首の皮がむけ、耳の皮がむけ、朝起きると血が固まって、枕が
首にくっついてくるような状態でした。今考えると、なんてバカなことをやっていたのだろうと
思います。最新の手法など常に取り入れていかないとならないということをあたらめて思い知らされ
ます。仕事も同じですね。
特にフォワード、バックス関係なく、相手と当たり倒れ込まずに、ボールを確保するような基礎練習は
見ていて勉強になりました。ラインの練習でも、無駄にラックやモールに入ることなく、ラインに残り、
バックス・フォワード一体になって攻める。ここでも、栄養だ調理だと自分たちの持ち場を決め、線ぴき
をしている状況では、千変万化する現実には戦えないのだということを教えてくれます。
もっとも、栄養は栄養、調理は調理の基本動作がしっかりできてからの話ですが、その先を見ておかないと
つまらない小さな仕事になってしまいます。
人工芝のグランド、
ここでも山と雲とグランドの緑が素晴らしい。
40年ぶりに来た菅平をまわってもらい、変わった姿を見せてもらいました、ワールドカップでイタリア
が合宿を張るそうで、昔走ったグランドは体育館になっていました。皆、あそこは昔こうだったとか、
あそこはどうだったなどとよく覚えています。私はほとんど何も覚えていません。周りを見る余裕など
何もなかったのだと思います。ただひたすらついていくのがしんどくて、しんどくて…。それもあって
40年も菅平から離れていたのかもしれません。
しかし、もつべきものは仲間ですね。学生時代一生懸命何かに打ち込んでも、その後の受け皿(OB会の
ような組織)がないと、又集まることができません。少ないながらOBがお金を出し合って現役の活動の
足しにする。そして現役が頑張って伝統が続いていく。連綿と続く伝統には、そこで人生の一時期、命を
燃やしたメンバーがいて、それを良しとして盛り立てていく存在が不可欠です。
なんと胡散無償してしまっている組織が多いことか。幸い私は恵まれています、高校のクラブも、大学の
クラブも100年近いOB組織があります。前職の会社にもOB会があります。私どもの会社にもOB会の
ようなもの作りたいと考えているのです。
帰りに、上田によって、信州蕎麦屋の名店「草笛」につれていってもらいました。繁盛されています。
ひっきりなしに車が連なり、ウエイティングが続いています。味はおいしいし、量も素晴らしく多い。
その店のマークは、吾、唯、足、知(吾れ唯だ、足るを知る)を図案化したものです。私は書道の先生から
ならって知っていましたが、一緒にいったメンバーは知りませんでした。
いろいろな解釈があるようですが、一日一日を一生懸命生きる。今自分が持っているものを活かして生きる。
と解釈しています。そんな一日を今日も送りたいですね。