昨日は、敬老の日ということで母のところに行こうと思ったのですが、有料老人ホームの
出入り管理は厳格で予約をし、行ってもシールド越しに合うようで足が遠のいています。
足が痛いようで、自転車こぎなどをしてリハビリに励んでいるそうです。90歳過ぎると、
何やるにも大変といっています。昔はこんな年まで生きるなんて珍しかったものね、などと
いっていますが元気です。
会社はどうと聞かれます。あなたは商売には向いていないからねぇ、などとずっと言われて
きましたが、どうやら諦めて言わなくなりました。今は会社はうまくいっているのなどと
聞いてきます。母の生家は武家の流れで商家の出ではありません。親戚縁者には秀才が多い、
いわゆるエリート官僚が多かったので、商売をするということが想像つかなかったのでしょう。
多分、私はその流れを引いているのは間違いなく商売はうまくはありません。地道にやる
しかないなと自覚をしています。
歩いてお墓参りに行きました。数年前に兵庫県明石(1000年前から祖先がすんでいた町です)
から、お墓を家の近くに移しました。その地に親戚縁者は誰もおらず、遠いので行くのも
ままならず、お墓の管理を頼んでいましたが、寂れていくばかりです。いろいろ批判や評価は
ありますが、近くにお墓を移したのは母の大英断だったですね。ということで、久しぶりに
ご先祖様にごあいさつをしてきました。何か、守られている気になってきます。ありがたい。
家に戻って、検討中の案件につき、商売の上手な方のお知恵とお力を拝借するために、提案書を
書いていました。一人では、なかなかうまくいかない時代だと認識しています。いろいろな力を
結集していかなければならないと考えています。
ドイツの名詞。名句鑑賞という本を紐解きました。この本は、私のバイブルの一つです。
時々、紐解きます。ゲーテの警句を参考まで
「処世のおきて」 ゲーテ
気持ちの良い生活をつくろうと思ったら たとえ何かを失っても
済んだことにくよくよせぬこと 生まれ変わったように振るまえ
めったに腹をたてぬこと ーーーーーーー→ 毎日が、何を欲するかを、たずねよ、
いつも現在を楽しめ、 −−−−−−−→ 毎日が何を欲するか、毎日がいってくれる
とりわけ人を憎まぬこと 自分の行為を喜べ、
未来を神にまかせること。 他人のなすことを貴べ
*ゲーテは67歳の時に、この警句を書き、79歳の時に、三行目と四行目の代わりに右の六行を
加えたといいます。いつまでも、読み返していたのですね。ゲーテらしい。
ゲーテ「温和なクセーニエン」より
・年を取ることは何の秘術ではない。老年に耐えることは秘術である。
・我々は結局何を混ざすべきか、世界を知り、それを侮らないことだ。
・知恵を大げさに自慢し見せびらかすのを止めよ。謙遜こそゆかしいものだろう。
君は青年時代の過ちを卒業せぬうちに、きっと老年のあやまちをおかすだろう。
・どうあったにせよ、無情について語るのをやめよ。我々を永遠にするために
こそ、我々は存在している。
・おお!泣き言を止めよ。最悪の日の後でも、また陽気に楽しむのだから!
・「理解できないことがいろいろある」生き続けよ。きっとわかってくる。
・星のように急がす、しかし休まず、めいめい自分に負わされた、重い任務を中心に回れ。